母の事

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 私にとっての母は、ずっと「怖い人」だった。

 海岸沿いの小さな集落で生まれ育った私の目に、母は「よそから嫁いできたがゆえの苦労を避けられない人」であり、「激しい感情をもてあます人」であった。子供を愛し慈しむ余裕などなく、日々の生活に追われ、常に苛立っては、愚痴ばかりこぼしている、反面教師と思う他ない、そういう存在だった。

 大人になり、生家を離れて、寂しさよりもほっとした。幼い頃は病弱だった私を常に気にかけ、電話や手紙でこまめに連絡してくれたのは、母ではなく、祖母だった。あるときなど、「お父さんはあんたが嫌いやから」と口に出した母の愚かさを心底悲しく思った。あまり帰省もしない娘を母がどう思っていたのか、わからないし、わかろうともしなかった気がする。

 大病をして、死に掛けたこと、回復して普通に生活できるようになってからようやく事の顛末を知らされた。私はその話をかなり大きな衝撃をもって聞いた。母って、娘って、何だろう?と考えた。けれど、再入院した母を父には内緒で見舞ったとき、老いた母のしわだらけの手に、思わず涙がこぼれた。

 どんな確執があろうと、私を産んでくれた人、この世界にたった一人の、かけがえのない存在であることに疑いはない。小さなことにこだわっていたのは、母ではなく、私自身。そのとき、ようやく私は、母を「赦した」のだと思う。

 親を赦せないと思っているうちは、生きていくのが苦しく思える。親を赦して初めて、自分を肯定してやれるのだ。そのことに気づいたのは、つい最近。いつまでもコドモみたいな人、と、母を過小評価していたけれど、私自身が小さい人間だから、そんな考えしかもてなかったのだ。

 「じゃがいもを送ったで」と、電話してくれた母の声は、ますます老いた。もう長くないと言って笑った母の顔、病院の窓から射しこむ光の中では、はっきりと見えなかった・・・・・。あるいは私の目が曇っていたせいか。見舞いの品にと持参した、私の拙い写真を とてもキレイだと褒めてくれた母。

 この年になってやっと、母を一人の人間として、肯定できるようになった。そういう自分自身を 大人になれたんだと認めてやりたい気がする。

 

撮影機材:Canon EOS 40D + TAMRON SP AF28-75mm F2.8 A09E 

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