石手寺の施餓鬼と万灯会

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 先日、石手寺で行われた「施餓鬼(せがき)」を撮影してきました。昨日upした写真はどれもその際にあわせて行われた「万灯会(まんとうえ)」の画です。



 石手寺の境内には屋台が出て、とってもにぎやかでした。いつも土産物店の前で寝そべっている猫さんたちも、この日ばかりは他へ移動しています。お遍路さんだけじゃなく、小さな子供をつれた家族も訪れるから、落ち着いて眠っていられなかったことでしょうw



 門のところで願い事を書くための短冊を渡されます。みんな思い思いに願いを書き記し、ろうそくの棚に置いていました。まるで七夕の短冊みたいだなぁと思うような私的な内容が多かったですねぇ。



 僧侶の読経や音楽の生演奏、石手幼稚園園児たちの可愛い歌などが続きます。暗くなる前にろうそくが燈されて、境内は少しずつ夕闇に包まれ、ろうそくの火が浮かび上がってきます。



 餓鬼道に落ちたものだけではなく、あらゆるものの霊魂を供養するための法要が「施餓鬼」なのだそうですね。「万灯会」も、ろうそくの火を燈して霊魂を供養する行事です。ふだんは信仰心のない人(私とかw)でも、敬虔な気持ちにさせられるおごそかな空気がそこにはありました。

 人は自分がもっているものを分け与えることをしないといけない、というのが仏教の教えなのですね。「施す」というとなんだかちょっと偉そうに聞こえますが、違うんですよ。仏教での「お布施」は施す側も受ける側も喜んで、でなければならない、つまり対等の立場にあるわけです。持っている者はそれを持たない者に分け与えることで功徳を積める。施しを受ける側も、その物によってうるおうのはもちろんのこと、施しを喜んで受けてあげることで相手に功徳を積ませてあげられるんですね。

 お釈迦様の教え 「無財の七施」 の中には「和顔施(わげんせ)」もあるそうですよ。これは金銭や物を与えるのではなくて、穏やかな顔で人に接すること。「和やかな笑顔で人に接して相手を喜ばせる」ことなんだそうです。

 自分は持っているものを分け与えているだろうか?とふっと考えました。お金はなくても、人に分け与えることはできるはず、なのに・・・・。そういう気持ちがあんまりないかなーと反省。

 あ!でも、写真を見てくださった方が「きれいだなー」「これは楽しいなぁ」「おもしろい」などなど感じてくださったら、それは一種の「布施」なのかも?ここを訪れてくださって、写真や文章を楽しんでくださる皆様、いつもありがとうございます。

撮影機材:Canon EOS Kiss Digital N & Canon ZOOM LENS EF-S 18-55mm 1:3.5-5.6 IS

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