映画レビュー「美しき運命の傷痕」


映画レビュー「美しき運命の傷痕 L’ENFER HELL」2008.2.29

【ひとこと】
 不幸てんこ盛り。

【物語のあらすじ】
 ある事件のために父親を亡くし、トラウマを抱えた美しき三姉妹と母親の物語。ポーランドの巨匠、故クシシュトフ・キェシロフスキ監督と執筆パートナーのクシシュトフ・ピエシェビッチの共著である脚本を元に「ノー・マンズ・ランド」のダニス・タノビッチが脚色・監督を務めて製作された映画。天国・地獄・煉獄の3部作中、第2作に当たる

 長女・ソフィー(エマニュエル・ベアール)は二児の母。カメラマンの夫(ジャック・ガンブラン)が他の女と深い関係にあるのではないかと疑って、証拠を探し、密会現場を突き止め、夫の愛が冷めてしまったことを嘆く。彼女は二人の子供と共に生きていこうと、最後には夫を拒絶する。

 次女・セリーヌ(カリン・ヴィアール)は異性と接することに不慣れで、愛することにも愛されることにも臆病。老いた母(キャロル・ブーケ)を一人面倒見ている。自分に好意をもってくれているのかと思った男性(ギョーム・カネ)にも、不器用っぷりをさらけだし、その男性から過去の意外な真実を告白される。

 三女・アンヌ(マリー・ジラン)は父親ほども年齢の離れた大学教授(ジャック・ペラン)に恋してしまい、彼を執拗に追いかける。自分には彼しかいないのだ、などと言い張って、結局周囲の人間を皆不幸に巻き込んでしまう。

【感想など】
 三者三様、というか、この場合、母親も入れると四様なのかな?とにかく、どこまでも不幸な女性達の悲劇を描いた映画で、悲しすぎる話に鑑賞後おもいっきり暗くなった。あまりにもかたくなな母親が犯した罪は、死んでも償えないと私は思う。もうちょっと彼女に分別とか余裕とか憐憫の情とか理性とかがあったなら、三人の姉妹はこんなにも不幸にはならなかったような・・・。「何も後悔していない」とキッパリ言い切る人を潔いと思う私でも、この母親の言動には首を傾げるし、娘達三人の人生をめちゃくちゃにしたのは、父親ではなく母親ではないのかと感じた。アンヌは母を「王女メディア」になぞらえていたけれど、咎なく殺された(精神的に、ね)に等しい娘達から優しくされるのを当然のことと母は思っていたのだろうか?むしろ誰も会いに来ないことが当然では?

 次女のセリーヌは随分優しい、よくできた娘なのだと思える。かたくなで冷酷かつ気難しい母に、親身になってやっていたのは彼女だけに見えた。その不器用さもせつない。優しく美しいのに、愛され方を知らない女、それはたしかに「不幸」だ。好意の示し方を知らず、他者から捧げられる愛を受け止める術もわからない。まるで無垢な子供のように、戸惑ってみせたり、かと思うといきなり裸になってみたり。明らかにバランスを欠いた行為が、彼女の傷の深さをあらわしている。

 しかし、ソフィーの夫に対する愛し方はあまりにも自分勝手だ。実際、夫の不倫相手は実在したわけで、彼女の勘はあたっていたのだが、その確かめ方がいただけない。どんなに美しくて貞淑な良き妻でも、嫉妬にかられて愛人の部屋にしのびこむなんて決してやってはいけないと思う。ソフィー自身が言っていたけれど、あれは「自分を辱める」行為だ。ミジメになるだけとわかっていて、ああしないではいられなかったソフィーの不安や不満を痛々しく思う。「私だって女よ。」と夫にアピールしてみせる、あれも、男にすればゲンナリさせられるしぐさに違いなく、エマニュエル・ベアールの美貌がよけいにイタイ。あぁ、あんな美女でも、ナイスバディでも、男は妻に飽きるものなのね、不倫相手の方が魅力的に見えちゃうものなのね、と、いまさらながら確認させられるとツライ。

 三女・アンヌは若くて可愛く、他にいくらでもふさわしい相手がいそうに思える。なのに、父親ほども年の離れた教授に恋して、しつこく追いかけ、別れを告げられてもなお離れられずにいる。その恋心はいじらしいが、やっていることは不幸を撒き散らす行為に等しい。何も知らなかった教授の家族にまで、不快な想いをさせる権利が、果たしてアンヌにはあるのだろうか?幼くして父を亡くしたことは可哀想だけれども、それだからといって人の家庭を壊す権利などないはず。一途な女も度を越すと手に負えない。思い込みの激しさは母譲りか。なんにせよ、自分で自分を追い詰める恋しかできないなんて、やりきれないと感じる。

 それにしても、ほんの少しだけ態度や言葉を改めたら、三人(いや四人?)とももっと愛されて、幸せになれるだろうに・・・・と思ってしまったことよ。それができないから皆苦しむのだけど。「変わる」ってのは、言葉で言うほど簡単じゃないから。たしかに、これは地獄の苦しみを描いた作品だった。なんで「女」ってこんな哀しい存在なのだろう?簡単なことのように思えるのに、ただ愛する人に愛されて満ち足りる、それだけのことがこんなにも難しいなんて・・・。

 「赦す」ことができない、それこそが不幸の根源であり、地獄へ続く道を自ら歩んでしまう元凶なのだ。親の影響とは、かくも大きいのか。この映画では、ラストの母と三人姉妹の対話場面で「再生」へと向かう母子を象徴的に表現していたらしい。けれども私には、そのようには受け取れなかった。自らを強引に肯定してしまう母に、あきれる三人の娘達、と見えた。それは私自身が「赦す」こと抜きに人生を変えることなどできないのでは?と思っているから。

 映画の冒頭で流れるカッコウの托卵、誤解や偶然によって変えられた運命を暗示するものと読み解かれるのが一般的らしい。私はこれを非常に理不尽な外部からの干渉により壊されたhomeの映像として観た。いわゆる「災難」がふりかかって、本来帰属すべき場所を失ってしまった三人の姉妹、その不安定な人生の礎が、カッコウによって卵をダメにされた鳥の巣のように思えた。

 天国編にあたる「HEAVEN」を観たのは随分前だ。ケイト・ブランシェットが美しかった。トム・テイクヴァ監督の撮った映像も素晴らしかった。物語そのものがとても好きだった。この「美しき運命の傷痕」は、万華鏡や螺旋階段をモチーフに撮られたシーンなど非常によく、嫌いではないが、やはり観ていてツライものがあった。傷を負った人間が、再生するのには何が必要なのか・・・。これは「トリコロール」三部作でも描かれた主題。キェシロフスキの伝えたかったものをはたしてダニス・タノビッチは十分に表現できていたろうか?

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