映画レビュー「バベル BABEL」


【ひとこと】
 悪い人間じゃない。ただ、愚かなことをしただけ。

【物語のあらすじ】
 モロッコを旅するアメリカ人夫婦リチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)。二人は末っ子・サムの突然死以来ぎくしゃくした関係のまま。バスで移動中、銃撃によりスーザンは瀕死の重傷を負う。近くに病院も無く、救急車も来ない。苛立つ夫妻。その銃弾は、山羊の放牧で生計を立てる貧しい一家の幼い次男が放ったものだった。1発の銃弾をめぐるさまざまな物語が展開する。モロッコ、メキシコ、アメリカ、そして日本。どうしても通じない気持ち、孤独にさすらう心、どうすれば・・・

【感想など】
 ちょっとした不運や、悪気の無い行動が、少しずつ歯車を狂わせ、取り返しのつかない事態にまで発展してしまう。これはそういう物語だった。意図しないところで、発生する悲しい出来事を前に、人はただ呆然と立ち尽くすしかないのか。

 観終わって真っ先に頭に浮かんだのは「通じ合えない」という言葉。人は言葉が通じないだけでもコミュニケーションを困難に感じるものだけれど、(実際、この映画の中では言葉が通じない場所での苛立ちをブラピが演じていたけれども)それ以上に、この映画では言葉が通じる云々と関係の無い部分での『通じ合えない』ということがテーマになっている気がした。

 リチャードとスーザンは英語で十分に話し合いができるはずなのに、末っ子の死をきっかけに夫であるリチャードがまず逃げてしまい、スーザンの苛立ちを増幅させてしまった。口論したくないという夫に、「じゃあ、その気になったら言って。」と冷たく言い放ったスーザンは、日頃から夫の態度に業を煮やしていたのだとわかる。なぜモロッコを旅行地に選んだのかは不明だけれど、結果的にこの夫婦は「妻が死ぬかも?」という最悪の状況に陥ってようやく、お互いをしっかりと抱きしめあい、かけがえのない存在であることを確認できたのだ。皮肉な展開ではある。だが、まあ、人間なんてそんなものかもしれない。いつもそばにいて当たり前の人が、ひょっとしたら死んでしまうかもしれない、そういうギリギリの事態にならないと、人は気づけないのだな。どれほど大事な人かということに。こだわっている過去の出来事を一度すべてリセットするくらいのつもりでいないと、壊れかけている関係を修復するのは難しいのだ。

 日本で生きる聾唖の高校生・チエコ(菊池凛子)が日々感じる孤独や焦燥は、人とのコミュニケートを困難にする彼女の身体的ハンディキャップにのみ起因するものではない。父親との関係の冷たさ、母の自殺、そういう背景が、彼女の孤独をさらに深めている。彼女は人と上手くつながれない性格。自分の気持ちを伝えることが難しい。突拍子も無い行動や嘘は、寂しさゆえ。周りの人間はどうしてやることもできない。見ているこちらも実にもどかしく感じる。彼女が聾唖者でなければ、もっと上手く人とつきあえるのだろうか?私にはどうもそれだけではないように思えたが。

 メキシコ人の家政婦・アメリア(アドリアナ・バラッザ)の物語はさらに悲惨だ。良かれと思ってしたことがすべて裏目に出る。せっかく頑張って働いて手にしたアメリカでの生活を台無しにしてしまう。原因は子供達を置いて旅行に行ってしまった雇い主夫婦にあるのに、彼女が割を食った感じ。甥・サンチャゴを演じたガエル・ガルシア・ベルナルと共に、「メキシコ人だから」という偏見をもろに受けて、不当な扱いに甘んじていなければならない。彼女は差別や偏見によって事情説明すら聞いては貰えず、一方的にコミュニケーションを断たれる立場だ。何も悪くないのに、愚かな選択をしたばかりに・・・・というアメリアが、この映画の中では最も印象的だった(あくまでも私にとっては、だが)。

 モロッコの一家はどうしようもない悲劇に見舞われたとしか言いようがない。彼らにとっては格安で手に入れた銃で山羊を襲うジャッカルを撃ち、生活を脅かす要因を排除しようとしていただけ。幼い子供でさえも、銃を扱えるようにならねばならない環境にある、そのことを 本来なら、関係の無い人間がどうこう言うべきではないのだ。たまたま通りかかった観光バスを標的にして撃ってしまったことを責めるのは道理だが、どうしてもそこには釈然としない気持ちが残る。ましてや、いきなりやってきた大勢の警官たちに一斉射撃されるなどという事態は、信じがたい光景でもあった。まさに問答無用、コミュニケーションがない世界の出来事。失われた若い命がいたましい。

 4つの国にまたがる、「つながることの難しさ」を描いたこの作品、観た人の評価ははっきりと分かれると思う。非常に考えさせられた・面白かった、という人と、なんだかよくわからない、という人と。構成は上手いし、映画としてよく出来ている。ただ、日本でのチエコのエピソードは菊池凛子の熱演のあまりに映画全体のバランスが壊れる結果になった。チエコの話は、これだけを取り出して1本の作品にすればよかったかも。

 映画の最後にイニャリトウ監督から二人の子供にこの作品を捧げるとした献辞があった。最も暗い夜にあって、最も明るい部分、それは子供たちの存在なのだ。世界はこんなにも混沌として、悲しい出来事に満ちている。それでも、なお、子供たちは希望の光。大人ができないままでいる「つうじあうこと」「つながること」をいつか叶えてくれるかもしれない子供たちに、未来を託すつもりで観れば、また違う感想を抱くかな?

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