二人展 双海 菜の花

二人展 双海 菜の花

明日は最終日

午後3時まで です。


たくさんのお客様とお話する中で、「なぜ写真を撮るのか」気付かされました。

私なりの理由というか、モチベーションというか、「表現欲」の根源にあるものは何か、ってことですけど。

おそらく、日常の生活に120%満たされている人、充実した毎日を生きている人は、「表現」に対する切実な欲求が少ないのではないか?と思います。

何かしら、満たされないものを感じるからこその、「表現欲」ではないのかな?と。



たとえば、幼少時の「愛されたかったのに愛されなかった」記憶とか、「あるがままの自分では受け入れてもらえなかった」事実とか、そういうものが、「表現」へと私を駆り立てている気がします。

私が撮った写真は、私なりのものの見方、感じ方を少なからず反映しています。

その写真を誰かが観て、「これいいなぁ」「これ好きだなぁ」と思ってくれたら、私は私自身を肯定されたように感じるのではないか?と。

逆もまたしかり、です。



ある時期、とりつかれたように文章を書きつづったのは、自分の中の「満たされないもの」をなんとか埋めようともがいていたんですね。

何かが足りない、でもそれが何なのかわからない、だから知りたくて書き続けている、そういう感じでした。

それが今では写真だったり、俳句だったり、別の手段に変わっただけ。

根底には「認めてほしい」「受け入れてほしい」「肯定してもらいたい」という想いがあるのでしょう。



このblogは、私が見つけた「心揺さぶられる瞬間」を 「誰か」と共有したくて始めたものです。

宛名が書かれていない Love letter というか。

リアルの生活が多忙を極め、それなりに人間関係もでき、次第に「表現欲」が弱まった結果、更新が滞っていた、というわけです。



年齢を重ね、経験を積んで、以前のような「切実な」気持ちは薄れました。

表現せずにはいられなかった、常に何かに焦れて焦がれて焼き切れそうだった、そんな私ではなくなったのだと思います。

それが良いことなのか、悪いことなのか、わかりませんが、何にせよ、私の写真に対する取り組み方や、表現の仕方は、少しずつ変化しています。

今回の二人展で、いっそうはっきりと、それを自覚しました。



明日のことは、誰にもわかりません。

命はいつか終わりを迎え、もとの「無」に帰っていきます。

ヒトの形をもって生まれてきた私が、いつ、どのように、その生を終えるのかはわかりませんけれども、それまでの時間を少しでも充実したものにしていきたいと思っています。

明日、どんな人に出会えるだろう、誰と再会できるだろう、大きな期待を持って二人展の会場へ向かいます。

「次」へつながるものにできたことを喜びつつ、扉を開けようと思います。

コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。