松山城へその2

さて、おまたせいたしました。
松山城へ引き続き登ってみましょう。


前回、恐ろしい仕掛け、罠があると申し上げましたのは・・・・

隠れ門

これ、隠れ門 と呼ばれる門です。
筒井門の東側にはパッと見「石垣」があるのですけれども、実は隠れ門が石垣によって死角になる場所に設けられているのです。
筒井門で足止めを食った敵は、隠れ門から飛び出してきた兵士たちに、横あるいは背後をつかれ、大きな痛手を被るという仕組み。

筒井門あるいは隠れ門を抜けると・・・

渡り塀

長い板塀と見えて実はものすごく頑丈な渡り塀にぶつかります。
わざとペラペラに見えるように作ってある塀で、敵の矢を消耗させようという仕組み、ここが松山城第二の防衛ラインなのです。
この塀は内側のくさびを抜けば下にいる敵にむかって落とすことができます。
上から頑丈な塀が落ちてくるんですよ?
そりゃあ怖いし痛いし、大きなダメージになりますよね?

渡り塀の向かって右側、東へ回り込んだら太鼓門があります。

太鼓門

この門もかなり頑丈で、ちょっとやそっとでは破れないことでしょう。

太鼓門の桜

これは太鼓門の内側から春に撮った画。
桜が咲くと、とても綺麗な門ですけれど、敵にとっては手ごわい建造物、なんですね。


山頂広場

ようやく山頂広場へ登ってきました。
第一・第二の防衛ラインを突破できたとしても、城主の居る天守閣にはまだ行きつけません。

この松山城を築き上げた初代城主・加藤嘉明という人は、豊臣秀吉子飼いの武将で、勇名を馳せた人。槍の使い手でもあり、「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられた猛将でした。関ヶ原の戦い以来、伊予・松山を治めるにあたっては、城下町の基礎を構想し、25年の長きにわたって壮大な計画を着実に進めた知略の人でもありました。

しかし、完成間近な松山城と城下町を後に、加藤嘉明は会津へ転封となります。自らが思い描いた理想の城と町の完成を見ずして、はるか遠くへ行かねばならなかった、その気持ち・・・・さぞや心残りだったことでしょうね。


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