感動なくして


 昨日、子規記念博物館へ行ってきました。以前訪れた時は、時間がなくて非常にあわただしく、展示物をじっくり観ていませんでしたから、今回はひとつずつていねいに観て回りました。子規さんの交友関係の広さ、錚々たるメンバーが集っていたこと、子規さんの影響を受けた人の多さ、その影響の大きさetc. 実に凄い人だったのだなぁと、今更ですが感じましたねぇ。

 展示物の中に、種田山頭火の書き残したものもあったのですけど、その中のひとつに私は頭を殴られたような衝撃!を受けました。

感動なくして製作するなかれ


という言葉・・・・・これにね。
「感動なくして制作するなかれ。
ホントウの句は下手でもよろしいが、ウソの句は上手でも駄目。
多作寡作は素質により、その場その時の事情により、習慣によるでせう。」

 山頭火は自由律俳句で知られる人ですが、孤独な人でありました。ひたすらに自分の「道」を極めんとした人です。有名な句では「分け入つても分け入つても青い山」「まつすぐな道でさみしい」などがあります。厳しい人だったんですね。そして、本当に真摯に句作に取り組んだ人だったのだなぁと感じ入りました。

 何でもそうです、芸術と称されるものは何でも、技巧に頼ってはいけない、ひたすら感動を形に残すものなのです。シンプルなのがいい、というのもそこに通じるかと。子規さんの「写実」ということも、同じですよね。心が動いたその瞬間、内部からの表現することを欲する力によっておのずと生まれ出るものが本物なのでしょう。山頭火はまた、こうも言っています。

「文は人なり、句は魂なり、魂を磨かないで、どうして句が光らう、句のかがやき、それは魂のかがやき、人の光である。」

「俳句を止めるとか止めないとかいふ人が時々ある。
何といふ薄っぺらな心境であらう。止めやうと思って止められるやうな俳句であるならば、止めまいと思ふても止んでしまふやうな俳句であるならば、それはまことの詩ではない。止めるとか止めないとか、好きとか嫌いとかいふやうなことを超越したところに、まことの詩としての俳句存在の理由がある。自我発現乃至価値創造の要求を離れて句作の意義はない。」

 子規さんの記念館で山頭火に感銘を受けて帰ってくる、というのがこれまた私らしいのですけどw 行って良かったです、子規記念館。建物が非常に重厚でシンプルで美しく、展示内容もかなり充実しています。他所からのお客様に自信を持ってお薦めできる、非常に良いものが松山にはあるんだなぁと、あらためて感じたことでした。子規さん、郷土の誇りですね。もうすぐ放映される「坂の上の雲」NHKドラマが楽しみです♪ 

 
Canon EOS 40D + TAMRON B003

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