escape



 一度だけ、学校から抜け出して、家に帰ってしまったことがあった。

 授業が嫌だったのではない。むしろ勉強は好きだった。それ以外に、自分が認めてもらえる場所がなかったせいもある。たくさん勉強して、うんと偉くなって、いつか小さな集落から出ていく、その日を夢見ていた、幼かった私。けれど、現実は厳しい。短気で、意固地で、お世辞が言えなくて、笑うことも下手だった私は、教室の中で浮いていたと思う。遊び友達としては近所の子供とも行き来があった。でも、その当時の私に、心を許せる友人など、ただの一人もいなかった。

 初めてのescape。何がきっかけだったのかはもう忘れてしまった。小走りで急いだ帰り道、人目につかないように、とだけは気を使った。当時の私にとって、学校を抜け出すなどとんでもない「悪いこと」。誰かに見咎められたら、必ず叱責される、それが怖かった。それでも、学校に居ることの苦痛に耐えられず、文字通り逃げ出したのだ。家に帰って、部屋の隅で小さくなって、ひたすら「見つかりませんように」「叱られませんように」と願っていた。

 毎日毎日仕事に忙しかった両親は、私が学校を抜け出して家に帰っていることなど気づきもしなかった。一番最初に気づいたのは祖母で、「ありゃ、もう帰ったんかい?」と声をかけてくれたけれども、私の様子がおかしいことにすぐに気づき、「どうした?」と聞いた。

 どうしたのか、何が嫌だったのか、私には上手く説明できなかった。ただ小さくなって、膝を抱えて、首を横に振るばかりで、祖母を困らせた。その後、学校から電話があり、親と先生とでなにかしら話し合いがあったようだった。結局、体調不良で早退したことにしてくれたらしかった。翌日からも普通の顔で登校した私を咎める者は誰もいなかった。それがかえって、後ろめたさを私の胸に焼きつけた。

 逃げ出したいと思ったことは何度もある。実際に抜け出して安全な場所へ逃げたことは、このときの1回と、社会人になってから1回。たくましく生き抜いていくとか、しぶとく生き残るとか、どうも苦手。今でこそ初対面の人とでも気さくに話すけれど、小学生の頃はまったくそういうことができなかった。ちょっとしたことに傷ついて、内にこもって・・・・。今の私から見ると、考えられないくらい。

 広い世界を知って、escapeの必要性を感じなくなったことが、大人になって一番嬉しかったことだ。狭い世界で、自分の周囲、それこそ半径3mくらいしか見えていなくて、苦しんでいたのが嘘のように。あの閉塞感や、圧迫感、いったい何だったのだろう?過ぎてしまえば、笑い話。

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