51番札所石手寺2

石手寺の続きですが・・・

衛門三郎

これは四国遍路の起源となった伝説の「衛門三郎」の像です。
石手寺へ入っていくとすぐに、この像がすえられているのが見えます。

昔、豪族河野氏の一族に衛門三郎という男がおりました。
大変強欲な、人望の薄い男でした。
ある日、衛門三郎の家の前に托鉢の僧がやってきます。
衛門三郎は怒って、僧のもつ鉢をたたき落としてしまいました。
鉢は8つに割れ、翌日から衛門三郎の子供たちが1人、また1人と亡くなっていきました。
8人の子供すべてが亡くなった時に、衛門三郎は己の罪に気付きます。
托鉢の僧は弘法大師であったとわかるや、四国を巡っている大師を探して、衛門三郎は旅に出ました。
何度も何度も四国を巡って、どうしても大師に逢えない衛門三郎。
思い余って逆に巡り始めたところ、無理がたたってか、焼山寺の近くで倒れてしまいます。
臨終間際の衛門三郎の枕元に、弘法大師が姿を現し、ようやく衛門三郎は大師におわびすることができました。
「なにか望みはあるか」とたずねる大師に「河野一族に生まれ変わって、善い行いをしたいです。」と言った衛門三郎。
大師は傍らの丸い石をとりあげ、衛門三郎再来と書きつけて、衛門三郎の左手に握らせました。
その後数年、河野息利に男の子が生まれました。
ところがこの子は、左手を握ったまま開きません。
安養寺の僧侶に祈祷してもらったところ、ようやく手を開きました。
するとそこには、衛門三郎再来と書いた丸い石が・・・・
安養寺は石手寺と名を変え、今も再来伝説の石が祀られています。


訶梨帝母天堂

こちらは訶梨帝母天堂。
鬼子母神を祀っています。
祠の周りの丸い石を拾って帰り、安産祈願をします。
無事に産まれたら、この石に子供の生年月日と名前を書き、河原から丸い石をもうひとつ拾ってきて、最初にもらって帰った石といっしょにここへお返しする、そういう民間信仰が残る祠なのです。


本堂前から二王門

お遍路さんと同じくらい、大勢の観光客がお参りに来る石手寺。
じっくり時間をかけて巡ると、さまざまな信仰に出会えることでしょう。
ここは四国でも有名なパワースポットなんですよ。


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51番札所石手寺

今日は仕事でよく行く51番札所石手寺をご紹介。
写真はコンデジで撮ったものです。

渡らずの橋

まずはこちら「渡らずの橋」と呼ばれています。
小川にかかる橋ですが、なぜか向こう岸へ行けなくなっていますね。
これは弘法大師様以外の者が渡ると脚が腐ると言い伝えられているためなんです。
間違って人が渡らないように、橋にはたくさんの仏像が置かれています。


二王門

そしてこれが国宝「二王門(仁王門)」。
鎌倉時代の建築です。
堂々たる構え、両脇の金剛力士像は快慶派の手によるものと伝わっています。
大わらじは2年に1回かけかえられます。
このわらじに触ってから自分の足の痛いところをさすると治るとお遍路さんたちの間で言い伝えられているそうです。


鐘楼

これ、二王門に雰囲気が似てますでしょ?
鐘楼です。
この建物は1階部分の四隅に袴腰と言われる部分がくっついていて、これが大変珍しいのですって。
鎌倉時代の作で、重要文化財。
2階部分に吊られている銅鐘も重要文化財です。

続きます。


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にの の ランチ

にの の ランチ1

いつもお世話になっている「にの」のランチ♪
写真が今ひとつなのはご勘弁ください。
この日はコンデジしかもっていなかったのです。
実物は見るからに美味しそうで、ホントにめっちゃ美味しくて、もんのすご~~~くヘルシーです。

にの の ランチ2

この時いただいたのは「とり天」がメイン。
メインのお料理は週替わりで、4種類から選べます。
副菜に卵焼きや、おひたし、ひじきなど、食物繊維たっぷりのものが3種類添えられます。
おみそ汁とサラダと昆布の佃煮もついてきます。
ご飯はおかわり自由。


にの の ランチ3

オフィス街のど真ん中にあるため、連日満員御礼なのです。
開店してすぐ飛びこんでも座れなかったりします。
みんな美味しい店はよく知ってるんだなぁ・・・・。

実は夜もいいらしいので、今度行ってみます♪
「にの」のオーナーシェフ二宮さんは、誠実そうな、笑顔がさわやかな、男前(ご本人は否定しておられます)ですから、カウンター席をお薦めしますw

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長者ヶ平の空

  • カテゴリ:空・雲
  • コメント:4件
長者ヶ平の空

松山城ロープウェイ・リフトに乗ると、この「長者ヶ平(ちょうじゃがなる)」まで登ることができます。
ここから先、山頂広場や青雲の見晴らし、天守などまでは徒歩で登らねばなりません。



長者ヶ平から


夏はけっこうキツイと感じる上り坂、でも、登りきった時のさわやかさはなんとも言えませんよ。

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松山城天守

松山城天守

現存12天守のうちのひとつ、松山城の天守は、築城当初5層だったと伝えられています。
松山城の3代目城主となった松平定行公が、3層に改築させたそうです。
幕府への配慮から・・・とか、地盤の不安定さを危惧して・・・とか、理由はさまざま伝えられています。

この画は、小天守から大天守を撮ったもの。
この角度で見る大天守が私は一番好きなのです。
もしも松山城の天守閣に登られるなら、小天守からの大天守もぜひ、ご覧になってくださいね。

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伊佐爾波神社


伊佐爾波神社1

伊佐爾波神社は京都の石清水八幡、大分の宇佐八幡と並ぶ日本三大八幡造の社殿で有名な神社です。
前殿と後殿の切り妻屋根が中央で接するように建てられ、内陣が広くとれるようになっています。



伊佐爾波神社2

別名湯月八幡。
松平定長公が江戸城での流鏑馬披露を命じられ、金的を見事射止められますように・・・・と願をかけました。
八幡様がこの願いをかなえてくださったお礼に、現在の社殿を建立したと伝えられています。


伊佐爾波神社3

算額の奉納数が日本一多いことでも有名ですが、上のような日露戦争旅順攻略を題材にした巨大な絵馬なども奉納されているんですよ。



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松山城へその3

紫竹門東塀から天守

山頂広場からずずずいっと北へ進んで天守に入ってみます。
これは紫竹門東塀のすぐそばから見る大天守。
左には小天守、右に一ノ門と一ノ門南櫓(やぐら)がちらっと見えています。


一ノ門

これが一ノ門。
扉の上部と下部は縦格子になっていて、攻めてきた敵の数などが把握しやすいように作られています。


二ノ門

これは二ノ門。
一ノ門と二ノ門の間は枡形と呼ばれる四角形のスペースになっており、四方から敵を攻撃できる仕組みです。


三ノ門と天守

二ノ門から入ってくると、180度転回して三ノ門が・・・・
敵をまっすぐに進ませないで、いたるところに仕掛けた枡形に追い込み、四方から攻撃をして、せん滅する構造です。


筋鉄門

これが本壇最後の門、その名も筋鉄門(すじがねもん)。
ここを破られると、天守はすぐそこ。
だから頑丈に作ってあるんですね。
もしもこの門を打ち破られたとしても、本壇内側はまた枡形になっており、敵は一斉攻撃を受けるようになっています。

初代築城主・加藤嘉明は、かくも見事な難攻不落の松山城を作り上げようとしたのでした。


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松山城へその2

さて、おまたせいたしました。
松山城へ引き続き登ってみましょう。


前回、恐ろしい仕掛け、罠があると申し上げましたのは・・・・

隠れ門

これ、隠れ門 と呼ばれる門です。
筒井門の東側にはパッと見「石垣」があるのですけれども、実は隠れ門が石垣によって死角になる場所に設けられているのです。
筒井門で足止めを食った敵は、隠れ門から飛び出してきた兵士たちに、横あるいは背後をつかれ、大きな痛手を被るという仕組み。

筒井門あるいは隠れ門を抜けると・・・

渡り塀

長い板塀と見えて実はものすごく頑丈な渡り塀にぶつかります。
わざとペラペラに見えるように作ってある塀で、敵の矢を消耗させようという仕組み、ここが松山城第二の防衛ラインなのです。
この塀は内側のくさびを抜けば下にいる敵にむかって落とすことができます。
上から頑丈な塀が落ちてくるんですよ?
そりゃあ怖いし痛いし、大きなダメージになりますよね?

渡り塀の向かって右側、東へ回り込んだら太鼓門があります。

太鼓門

この門もかなり頑丈で、ちょっとやそっとでは破れないことでしょう。

太鼓門の桜

これは太鼓門の内側から春に撮った画。
桜が咲くと、とても綺麗な門ですけれど、敵にとっては手ごわい建造物、なんですね。


山頂広場

ようやく山頂広場へ登ってきました。
第一・第二の防衛ラインを突破できたとしても、城主の居る天守閣にはまだ行きつけません。

この松山城を築き上げた初代城主・加藤嘉明という人は、豊臣秀吉子飼いの武将で、勇名を馳せた人。槍の使い手でもあり、「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられた猛将でした。関ヶ原の戦い以来、伊予・松山を治めるにあたっては、城下町の基礎を構想し、25年の長きにわたって壮大な計画を着実に進めた知略の人でもありました。

しかし、完成間近な松山城と城下町を後に、加藤嘉明は会津へ転封となります。自らが思い描いた理想の城と町の完成を見ずして、はるか遠くへ行かねばならなかった、その気持ち・・・・さぞや心残りだったことでしょうね。


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